好きなことでメシを食う、そんな生き方があってもいいじゃない!
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旧ブログ「オガのスキメシ日記」

ゴーストライターのオガワが好きなことでメシを食うための方法を徹底解説

あなたを確実に不幸にする悪習慣

唐突だが一つ質問をさせて頂きたい。

「あなたは、幸せになりたいか?
それとも不幸になりたいか?」

こう問われたら何と答えるだろうか。

バカな質問だと思うだろうが、
3秒でいいので真剣に考えてほしい。

「オガさん、そんなの幸せになりたいって
答えるに決まってるじゃないですか」

おそらくほぼ100%の確率で
「幸せになりたい」と答えると思う。

例外なく全人類全ての人達が
幸せを望んで毎日を懸命に生きている。

しかし、人によっては
本人が気づかないうちに
自らを不幸に貶めてしまう
悪習慣を持っている方がいる。

いや、むしろ私自身も油断すると
その落とし穴に嵌ってしまうことがある。

無駄に引っ張るつもりはないので
結論を言おう。

それは『悪口・陰口』である。

他人を批判すると間違いなく
自分に返ってくると断言できる。

理由は「因果律」と「脳科学」で
ある程度説明がついてしまう。

私は人生のベースの考え方に、
「原因と結果の法則」
因果律
というものがある。

原因があるから結果がある。

目の前で起こっている結末は、
自分が何かしらの因果を
作ってしまったから。

つまり良い原因を作れば
良い結果が生まれてくるし

悪い原因を作れば
悪い結果が生まれてしまう。

シンプルかつ絶対的な法則だと思っている。

しかし頭では分かっていても
日々の習慣の中で、ついつい
悪い原因を重ねてしまうものだ。

例えば何かに「イラッ」として
不機嫌になったとする。

これは日常生活でよくあることだと思う。

車を運転していて横入りされる。
電車で足を踏まれる。
急いでいるのに前を歩いている人が遅い。
レジが混んでて中々進まない。
上司から嫌なことを言われる。

そんな時は一瞬にして
気持ちは怒りの感情に支配されてしまう。

ただ一昔前の私は、
自分の心の中だけで生じた現象だから
大した影響はないと思っていた。

実際に誰に何かを言ったわけではないし、
自分の心の中だけで完結しているから
悪い因果を作ることはないと。

しかし、実際にはそうではないということに
最近ようやく気付くことができた。

心の中がネガティブな感情に支配されると、
負のオーラは、ほぼ間違いなく相手にも伝わる。

「この人怒っているな」
「なんだか機嫌が悪い」
「近寄りがたい」

このような印象を与えてしまい、
人を遠ざけてしまう。

これは大きなマイナスだ。

大体のチャンスや情報は人を経由して
自分の元にやってくる。

こう考えていくと、心の在り方一つで
自分の元にやってくるチャンスや情報が
変わってしまうということになる。

悪口、陰口を言っている本人は
多少すっきりするかもしれないが、
それを聞いている人の気分は良くない。

「この人は平気で悪口を言う人なんだな」

というイメージを持たれてしまい、
信用を落としてしまうだろう。

さらに、陰口を聞いた人が誰かに話してしまい、
巡り巡って本人の耳に届くこともある。

陰口を言われたことを知った人で、
気分が良くなる人はいないはずだ。

自分も陰口を言われる立場なら
決して良い気分にはならないだろうし、
言った人のことを良くは思わないだろう。

このような行為を繰り返すと
当然悪い因果を積み上げていくことになる。

その積み重ねは、見えないところで
ジワジワと自分の首を絞めるだろう。

ただ、ここまでの話だけだと、
なんとなく根拠のない世迷言に
聞こえてしまうかもしれない。

しかし、現代の脳科学でも
悪口、陰口は決して人を
幸せにしないと断言している。

脳科学の観点では、
他人に悪口を言ったり失敗を望むと、
潜在意識に大きなマイナスの影響が
あると考えられている。

そもそも潜在意識には、
「自分と他人の区別がない」

つまり、他人に悪口を言うのも
自分に悪口を言うのも
潜在意識に植え付けられる効果は
同じということになる。

「他人への悪口=自分への悪口」
「他人への批判=自分への批判」
「他人の失敗を望む=自分の失敗を望む」

例外なく全てが自分に
ブーメランのように返ってくるのだ。

これを知らず知らずに繰り返すと
恐ろしい未来が待っているだろう。

脳科学の理屈から言っても、
他人の悪口、陰口、批判、
失敗を望む気持ちは
絶対にプラスにはならない。

断言してもいい。絶対にである。

つまり、

心の中で思ったこと。
口から発した言葉。
行動。

これら全てが未来を創る
原因になっているということである。

正直全てをコントロールするのは至難の業だ。
できたら聖人君主の領域である。

とてもではないが、今の私も
実践しきれているとは言えない。

腹も立つし、悪口も言うこともある。
全ての行いが良いとも言えない。

しかし、自分への戒めの意味も込めて
今回の記事を書かせて頂いた。

周りの人のためを想い、
毎日を積み上げていきたいものである。

いきなり完璧にはできないから、
少しずつね。